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今日は寒かった。
諫早の白木峰は雪が降ったらしい。 白木峰と言ったら、もうすぐ、建築家の千葉学さんが設計した、子どもの城がオープンするらしい。ちょうど先月、内覧会があってたけどなんやかやで行かなかったから、近いうちに行きたい。実家も近いし。 そんで、誰だか知らない人のだけど、その内覧会に行った人のブログをたまたま読んで、 「こんな山奥に建てて、誰が使うんだろうか。想像できない。」 みたいなことを書いてあった。 確かに山奥っちゃ山奥だから、あるいは頻繁には使われないかもしれない。 まあちょっとフォローすると、この白木峰高原という場所は、周辺市町村の幼稚園保育園児から高校生まで、なんらかの学習活動を繰り広げる場所として結構活躍してる。春には菜の花、秋にはコスモスが咲き誇って、ちょっとしたレジャースポットとしても活躍している。 山奥と言っても、市街地からも案外近いし。 それはいいとして、それに関連して僕が思うのは、 頻繁に、あるいは賑やかに使われない場所や状況にある建築は貧相であっても良いのだろうか。 ということです。 そのブログを書いた人が、そういうことを言いたいわけではないのは、もちろんわかっているのですが、 これは僕が最近よく考えることです。 地方の更に田舎の小さな町とかの施設というのは、たくさんの人間が毎日毎日ワイワイ使うという状況が望めないものもたくさんあります。それでも今の社会のシステムにおいては、エリアごとに均等に散らばるように施設を作る必要があるではないですか。皆が平等に生活するために。 なんだけど、地方の小さな町に、ちょっと立派な建築ができると身分不相応だと言うじゃないですか。町の人も町の外の人も。税金の無駄遣いだと。それでは、貧弱な建築を作れというのか、と僕は思うわけです。それこそ税金の無駄遣いだろうと。 もっとこじんまりとしたのでいいではないか。 と、よくみんな言いますが、小さな町の住民が社会一般的に求められている生活を行おうとすると、こじんまりと収まるわけがない。ある一定の規模はどうしても欲しくなる。だからこれは建築の問題というよりはむしろ、地方の人口規模縮小の問題と、国民総平等志向による生活の均質化の問題の中において語られるべきだと思うのです。 それでも、そのようなハコモノ建築は、建設会社や設計会社や政治家が私腹を肥やすためのものなのだ。なるほどというところで皆納得するわけですが、それは、事実であることは僕もそう思いますが、もちろんそれだけではないだろう、それは物事の一側面でしかないとも思うわけです。そこには住民に確固たる公共の利益を与えようという意思も小さからず働いているはずではないですか。 それでも私腹を肥やす人がいることに対して、それを妬む人がいて、というのは結局、状況に不満足な人がいるからで、みんなが幸せではないという状況であるからで、それは建築を建てたの建てないの以前の問題だと思うのです。 まあ、なんにしても建築という行為は、その辺の難しい問題を浮き彫りにせざるを得ないばかりに、一人で罪を被ることが多いんだと思います。 結局、建築という行為がその辺までどうこうできる力を得るようにするために僕らは頑張らなければいけないのかもしれないけれど。 最初のブログの人が言いたかったのは、この新しい山奥の建物が、社会と建築との間の希望ある可能性を提示するに至っていなかったということなのかもしれません。 でもまあ、そういう話と、建築それ自体の素晴らしさの話とは、ある程度分けて考えることができるだろうから、とりあえず見に行こうと思う。 author:松本剛志
by matsumo5402
| 2009-03-15 04:38
| 雲り
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