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その中の一つは、「数字って、最も身体と直接的な言語なのではないか」ということです。 というふうに言うと当然だろうと思う人も多いかもしれませんが。 とはいうものの、最近の日本の建築家の作品が数字で首尾一貫語られているような状況を見たことがないのです。建築こそは身体に関わる最たるものだと信じている人種であるにもかかわらず。数字はプロポーションを規定するものでプロポーションは物語性の二の次という状況がほとんど。これはよく考えたら結構不思議な現象ではないでしょうか。ひと昔前はどうだったのか、僕はあまり詳しくないのですが、とにかく僕が建築の勉強を始めてからそのような作品は古典の世界と海外の一部の建築家にしか見たことがないのです。西洋が幾何学とパースペクティブの文化であり、東洋が混沌とフラットの文化だからでしょうか。特に日本は見立てによる雰囲気だとかそういう奥ゆかしさを重んじる文化だからでしょうか。そうかもしれません。そうだとしたら、そのような文化の中においてどのように徹頭徹尾、数字によって構築される建築が成立するか、そしてそれがどういう意味を持ち得るかを考えることはなかなか価値のある試みかもしれないと思っているのです。 …と、だいぶん話が飛んでいますが、まず数字がどのように最も身体と直接的かということを証明するのはなかなか難しいことだと思うのですが、例えば経験的な話でいくと、友達の家にいって「普通やねー」とか感想を持った後に、「実は6畳くらいしかないんよ」と言われると、「6畳にしては広い」というような感想に変わるということとか。これはたぶんに福岡と東京とオーストラリアととかでだいぶ印象の変わる話ではあるけれども、とにかく「6畳」という数字は身体にとって不変な言語であるのに対して、「普通」とか「広い」というような、一見“身体的な言語”は実は身体に対してコロコロ変動している。これは“普遍”と“恣意”とかの話をしているのではありません。僕は数字こそが身体から直接派生した言語であって、「広い」「大きい」「多い」なんかは、数字と身体との相関関係から生じた二次的な言語であると思っているのです。そういう意味で数字は身体に対して直接的であると考えるのです。 最近は、「大きなテーブル」とか「小さな部屋」とか、よくわけのわからない曖昧な空間の記述がいきなり出てくるような状況が世の中の建築に目立ちますが、最も身体と直接的な言語である数字を用いて、例えば「5は4より大きい」というような相対化の手続きを踏んでいくことで、「大きい」とか「小さい」とかいう記述が身体と空間に対して意味を持ってくるのではないかと考えています。(さすがに「森のような」とか「海のような」とかいうファンタスティックな記述を数字がカバーすることは難しい気はしますが。) auther:松本剛志
by matsumo5402
| 2009-02-24 00:43
| 雨
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