松本剛志の考えること
by matsumo5402
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SANAA×熊本アートポリス
今日は熊本まで遠征して、熊本アートポリス建築展2008の一環で企画されてたSANAAの講演会を聞いてきました。
SANAAに関しては、雑誌やいろんな本の中では、その言説を文章として幾度となく読んではいたのですが、生の声で聞いたのは初めてでした。

人間としての印象は、
まず妹島さんはすごいパワフル。建築を作るということが好きでたまらないんだろうと、思いました。すごく爽やかで元気な気分にさせてくれました。
そして西沢さんは話がとても魅力的でした。作品のプレゼンにはそこまで魅力は感じなかったけど(笑)、フラットな議論になったときの彼の話はすごく丁寧で明解。そしてアドリブが効く。施主に安心感を与えてくれる口調だと思った。
プライベートとか事務所での人間性は知りませんが、今回の講演会でのキャラクターはこういう感じでした。


今回の講演会は「公共建築を考えるシンポジウム」というテーマで、市の職員などとのディスカッションを交えたものでした。

ちなみに、このディスカッションのスタイルはすごく面白いと言うか有意義だなと思いました。
建築家の講演会というと、普通なら議論の相手も建築関係者になりがちで、閉じた言語の中で自分らの理論を展開させていくものが多いと思いと思うんだけど(もちろん、それはそれでとても有意義な議論なんだけど)、今回のように市民の代表としての市の職員さんと建築家が、大勢の観客の前でフラット(実際の力関係はSANAAの方が格段に高い印象だったけど)に議論をするということになると、建築家は建築的な言語を一度、一般的な言語の方に呼び戻す必要があると思います。
もちろん公共建築を多く手がけてきたSANAAなんかの建築家であればそういう類いの議論の経験は設計の段階で多くこなしてきたと思います。
だからむしろ今回有意義だったのは僕のような建築の学生だったのではないでしょうか。というのは、一般的に言われることですが、建築学生は建築の周辺にどのような人間関係が存在しているのかということを具体的なイメージとして認識できていないと思います(これは経験の問題で、仕方のない部分もある)。だから、今回のように建築の周辺の一端を垣間見れたことと、彼らとのコミュニケーションの方法を見れたということはすごく有意義だったと思います。
こういうふうに市民と建築家がもっと歩み寄っていくという幸せな関係をこれからの時代では築いていきたいなと思いました。

講演の内容は普段から語っている内容とそれほど相違はなく、その集大成という感じでした。
一貫していたのは、都市や周辺との関係性への問題意識。彼らはその問題への解答として、建築が都市に対して「開く」ということを提案する。そしてその「開き方」を提案する。開き方の手法として共通して見られるのは「視線の抜け」である。視線の抜けは「隙間」であったり「透明なファサード」「壁のない空間」などによって実現している。
こうして見ていくと、彼らの建築的試行と思考はすでに日本の建築界の中で一般解となっているのではないかと思いました。

もう一つ僕が今回改めて思ったのは、彼らは(僕らも?)建築において、建築物そのもの(モノ)と、建築物の内部あるいは周囲で生じる人々のアクティビティであったりアクシデント(コト)をまさに一体のものとして考え、提案しているということです。そうなってくると、建築家は世の中の誰よりもまず良識的で道徳的な一般市民であるのだなと思いました。そういう意味では、SANAAは(僕らも?)、一昔前の頭でっかちの大建築家達に比べて、市民にとってはまさしく、理解可能で安心できる良きパートナーなのではないでしょうか。

そういえば、ミースなんかも結局、人々の建築の幸福な“使い方”を考えた結果、ユニバーサルスペースに至ったわけですよね。モダニズムっていうのは、その後のポストモダン時代に比べて、変な思想などを介さずに、純粋に建築と人との関係を考えることができていたから基本的に爽やかだと思うんです。SANAAの建築が爽やかなのは、ミース的なあるいはモダニズム的なメンタリティがどこかにあるからかもしれませんね。



来週はピーター・クックが熊本に来ます。英語が理解できるか不安だけど、アーキグラムの本を持って絶対行こうと思っています◎
by matsumo5402 | 2008-11-30 00:29 | 雲り
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この日は全国的に悪天候。飛行機から見えるのは厚い雲ばかりでしたが、雲の上というのはやはりとてつもなく幻想的で、昔の人は空を飛べないのに、よくこんな幻想的な世界を空想できたもんだなと感心しました。

東京もやっぱり雨だったし、この日は用事もなかったので、街歩きはやめてゆっくり美術館や展示会を巡ることにしました。

とりあえず、高木正勝さんや百田さん大西さんらが出展しているというダブル・クロノス展を見に行きました。期間も終了しているので、せっかくだしレビューを少し書きます。
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百田・大西さんらの作品が屋外の展示だと知らず、雨のため内部を見れずに残念だった。周辺の建物や大木に比較すると明らかにスケールが小さいのだが、目の前に立つと、とてつもなく伸びやかで、異常な存在感を持っていた。けど、その抑えきれない自由さが、東京の街中にポツンと存在している感じが少し寂しかった。(雨のせいもあるかもしれないけど。)極端すぎかもしれないけど、丹下さんの東京カテドラルや代々木体育館などの一連のモニュメンタル系の建築達にいい意味でも悪い意味でも似た印象を受けた。(あくまでもブルーシートの隙間から見えた外観の印象として。)
高木正勝さんと水木塁さんの映像+インスタレーションの作品は格好良かった。
高木さんの(おそらく水をテーマにしたと思われる)映像が真っ暗な空間の中でスクリーンに映し出され、様々な音と共に展開していく。一方で、スクリーンの前には水盤(プール)があり、水盤にはられた水は装置によって微妙に波紋を発生している。水盤にはスクリーンの映像だけがゆらゆらと揺らいで映し出される。(空間は本当に真っ暗なので、実際のところ水盤が発見されるのは、目の前にあるスクリーンが床(であろう部分)に映っている、そしてそれが揺らいでいるという事実を認識するからである。)
水盤が、スクリーンに展開する映像を、鏡のように複製し、スクリーンと水盤の中に展開する映像が、ダブルパンチで迫ってきて、メチャメチャすごい迫力。(USJの映像アトラクション並み。笑)すごく格好良かった。


とりあえず、書くの疲れたから、後半はまた今度(?)

高木正勝/flows 水仙
高木さんの音楽でも聞いて癒されて下さい。(映像は高木さんのものか不明です。情報あったら教えて下さい◎)
by matsumo5402 | 2008-11-26 23:54 | 晴れ
デフォルト
今月は、塩塚アトリエに行ったり、超バタバタで研究室コンペをやったり、東京に行ったり、卒計巡回展の準備をしたり、学祭だったり(お酒飲んでただけだけど)とかで、残すところあと1週間になってるよ。

すっかり季節は冬です。

そんなこんなで、今月を振り返ると結構面白かった。それぞれのレポートはおいおい書こう(って言いながらいつも書かないけど笑)


唐突ですが、最近よく思うのは、いろいろなことに関する初期設定の重要性と難しさと可能性です。
僕の言う初期設定というのは、伝統とかそういう言葉に近い概念だと思うんだけど、外部の人間から見たらわけがわからないんだけど、ある共同体であったり団体、あるいは個人の中では“なぜか”共有されている、「これは絶対はずせないだろう」というような前提のことです。
“なぜか”という部分が結構大切で、例えば、各地で行われるような祭りなんかは、冷静に考えたら、経済的にもエネルギー的にも相当に無駄な行為なわけです。これは誰しもが一度は考えることではないでしょうか。けど、祭りは“なぜか”現在でもきちんと成立しているわけです。こういうことが、初期設定の存在を示唆していると思います。「祭りが観光資源となり経済的な効果を生む」だとか「祭りが共同体の結束を強める」だとか、そういうフレーズは事実ではあるけれども、単なる結果であって、祭りの本質的なモチベーションにはなり得ないと思うのです。
僕の予想だけど、初期設定というのは、ほとんどが傍から見たら本当にくだらなくてどうでもいいようなモチベーションが本当にたくさんグチャグチャに集積して一つのカタチを獲得している代物だと思うのです。明確な目標のないスタート。だから初期設定の意味を問うのは実際のところ愚だと思うのです。

けど現代人は全てのことに意味や理由を求めずにはいられない。様々な場面で、初期設定の意味が問われてしまう。僕は意味を追求された初期設定は、形骸化し硬直した、ただの強迫観念になってしまうと思うのです。
ちなみに僕は「伝統」という言葉があまり好きではないのですが、それは「伝統」というと、なにか凝り固まった、ある共同体の中の強迫観念に思えて仕方ないからです。これは僕個人の印象に過ぎないのですが、僕は「伝統」という言葉とは区別して使える便利な言葉として「初期設定」を使っていけたらいいなと思ったわけです。

初期設定はもっとフレキシブルであるべきだと思うのです。なんとなく条件が付加されたり削除されたり。長いスパンで見るとカタチは大幅に変化してしまうかもしれないが、節目節目では常に連続しているという感覚。
こういう行為の連続こそが文化だと思うわけです。
ということをウチの大学の学祭を見てて思いました。(ウチの大学の学祭は外部の人間から見たらたぶん異常なのです笑)。
形骸化することなく文化を紡いでいって欲しいな。いろんな事情でどんどん難しくなってると思うけど。


そういう意味では、昨今問題視されているような、明確なマニフェストのない、なんとなく敷地の状況に合わせて設計するような方法の建築家(伝統的な形式を踏襲するだけの建築家を除いて)なんかは、実は誠実な文化の担い手であって、好感を持てる存在だなと思ったりもしています。

ただ、これからは初期設定を共有する共同体が土地に限定されなくなってくるというところが、非常に難しいところだと思うのです。ネットなんかで特に顕著だけど、面と向かって会わなくても不特定多数の人間がある共通認識を持ち得る。これは本当に難しい状況です。初期設定がミックスされ、細分化される。多様化した初期設定に対して是非を問えなくなっている。「僕はこうだと思う」「私はああだと思う」に対して、「世の中いろんな考え方がありますよね」で終わってしまう。

こういう状況の中で、建築をどう考えていけばいいのか、ひいては世の中とどうか関わっていけばいいのか、難しいところだけど、可能性は存分にあると思っています。
by matsumo5402 | 2008-11-24 03:58 | 雲り
卒業設計日本一展2008巡回展at福岡
もう始まっていますが、催し物の告知です。


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卒業設計日本一展2008巡回展at福岡

会期=2008年11月22日(土)ー11月26日(水)
場所=九州大学USI大橋サテライト・ルネット
開館時間=10:00ー19:00


この巡回展に合わせて、トークショーも企画しています。
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期日=11月24日(月)
場所=九州大学USI大橋サテライト・ルネット
時間=17:00ー
ゲスト=五十嵐太郎、石田壽一、竹内昌義、百枝優(敬称略、五十音順)

トークショーの後はレセプションパーティも行われます。
参加費はトークショー、パーティ共に無料ですので、興味のある方はドシドシ参加して下さい。
by matsumo5402 | 2008-11-23 20:07 | 雲り
うー

あー

具合わる…

眠れん…

最近、ちょっと量を飲んだら、ヤバいんよね…笑


適量が一番やね、なんでも◎
by matsumo5402 | 2008-11-09 05:39 | 雲り
spetial others
念願の、spetial othersのLiveに行ってきた◎

自分が楽器できないのもあって(たぶんできてたとしても)、ライブに行くといつも音を作る人に憧れる。
それから、やっぱり音楽でもなんでも、作る人の顔が見えるっていうのは、僕にとっては結構大切なことのように思える。
どんな表情をして、何を作り出しているのか、というのが見えるということは、とても素晴らしいことのように思う。

ちょっと、話は違うくなるけど、誰だったっけな、確か、建築史家の藤森照信さんだった気がするんだけど、ある人が、「作るものからは、作った人の顔が見えなければいけない」と言ってた。
まあ、「顔」っちゅうのは抽象的な使い方な訳で、雰囲気とか気性とか、そういう感じの意味だと思う。

これは、個性的であるべきだとか、そういう話ではないように思っている。自分をどこかで拾ってきたような凡庸な個性で、とってつけたように飾り立てるような話とは全く違うように思う。無理に他人との差別化を図ろうとして、結局全てが凡庸になるという状況とは別の話だ。
もっと、誠実に生きた上で誠実に人や環境から学んできたことが、モノを作る時に必死に考えたようなことが、何らかの形で自然に表に出てくるような、そういうモノが理想的だということだと思う。

といいながら、自分はそこまで誠実であった自信もなく、どこかがハリボテのような気がいつもしてるくて、それゆえに誠実にものを作る人に憧れる。誠実じゃないと、笑って生きていけないしね、きっと。


なんてネガティブな話はしないほうがいいね笑



まあ、今日のライブは純粋に楽しめた◎
やっぱり音楽はいいね◎
by matsumo5402 | 2008-11-08 03:33 |
好きな建築家
この前、ある人に、好きな建築家は誰か?と聞かれて、特に思いつかなくて、で、なんとなくMoshe Safdieの名前を挙げてしまった。
モシェさんといえばhabita 67とかイスラエムのホロコースト博物館を設計したので有名な人だと思うんだけど、たまたまその時ホロコースト博物館の方に行ってみたいと思ってたので、モシェさんの名前が出てきたように思う。

考えてみれば、彼が作った建築のうちの一つとか二つに(しかも写真に)感動しただけであって、全く彼の思想も理念も知らないから、安易に好きだって言ってしまったことにちょっと後悔してるんだけど、そもそも「好きな建築家は誰か?」という質問は難しい気がする。

「好きな建築は何か?」と聞かれたら、いろいろ頭に浮かぶんだけど、1人の建築家を好きになるというのは、なかなか難しい。そして勇気がいることな気がする。というのは、特定の建築家を好きだと言ってしまうことって、その建築家のいろんなもの(作品から思想まで)を引き受けることになると思うから。

そんなに難しく考えることないじゃん。と思うかもしれないけれど、例えば、僕はSANNAとかの活動はすごく面白いと思うし気になるんだけど、もしそこでSANNAが好きだと言ってしまった時に「あいつはSANNAを盲信している」とかと思われてしまうのもなんか癪なのです。


実際、好きだとか、嫌いだとか、好き故の憎悪だとか、〜派とか、そういうものは現代的でないというか、一昔前のアンチ世代の概念な気がしてて、なにかそういう、思想だとか理念だとか重たいものを引き受けずに、いいと思うところだけをいい感じに編集していくっていうのが現代的な感じでいいんじゃないかな、とも思ったりする。


思ったりはするんだけど、そうなってしまうと、完全に世界はフラットになってしまうわけだよね。フラットな世界を最近では積極的に受け入れだしてる人が多い中で、僕はあんまり魅力を感じることができないので、そうではない世界はないのかなーと思ってる。そんなわけで、古くさいかもけどとりあえず反フラット主義者にでもなろうかな。

そんで、いろんなことを引き受けてもいいような、好きな建築家を見つけようとも思っています。



モシェさんに話は戻るけど、彼は若い頃は地元のイスラエルとかで、なんというか地に足着いたというか、泥臭い、ヒューマンスケールな建築たくさんやってたみたいで、僕はこれなんか写真で見る限り、すごく気持ち良さそうでいいな、と思うんだけど、最近はアジアとかでこんなんやってたりするみたいで、なんか、あーねー、って感じになった。
やっぱ、自分は田舎育ちの日本人だからか、こういう超ラージスケールのものにはちょっと退いてしまう。
そして、こんな環境の需要が絶えない世界は、いったいどういうモノなのか、全く想像も及ばない。世界にはまだまだ知らないことがいっぱいのようです。


なんか、偉大なる建築家の方々を、上から見下しまくったような文章になってしまってすみませんって感じだけど笑、学生なので許して下さい。

それから、今月号(11月)の新建築に載ってる、西沢太良さんの教会は、すごく気持ち良さそう。すごく行ってみたい。
ルーバーっぽい操作をやってるけど、隈さんのそれとはなんか違う気がする。西沢さんの方は、なんか、不思議と圧迫感がある気がする。なんでだろう、スケールの問題かな。まあ、言うてもどっちも行ったことないわけで、実際に行かないけんと思っています。
ちなみにどちらも掃除は大変そうね笑



長くなったー。
次回は、この前たまたま見た藤本壮介さんのhouse Nのレポートでもできたらいいかな。
by matsumo5402 | 2008-11-07 03:45 |