松本剛志の考えること
by matsumo5402
カテゴリ:空間( 2 )
吉野水分神社
空間-1
吉野水分神社
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奈良吉野山の寺社群の一角にある神社。
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まずは駐車場からひたすら山道を登る。後で気付いたが、普通に露店とかが建ち並ぶ楽しげなルートからでも行けた。
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外観
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質素な外観ファサード。おそらく、当初はこの面は森に隠れて見えない面だったのだと思う。この面に面して小さな駐車場があり、この駐車場を作るために森が切り開かれ、ファサードが露出したのではないか。という予想。

森に囲まれており、外からはいまいち全体像が掴めない。鳥居をくぐり境内に入る。
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鳥居をくぐったとこ。
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奥の方から鳥居側を振り返る。
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再び鳥居側から奥を見る。

つまり、どうやらこの神社は建物をロノ字型に配し、境内を森から長方形に切り取られたヴォイドとして現出させていた。上の4枚の写真は鳥居から入って時計回りに建物沿いに境内をグルッと一周している。感覚としてはオランダとかドイツとかの街区中心の中庭(オランダでいうホフィエ)に近い感覚。ホフィエは都市の中のヴォイドであったが、水分神社の境内は森の中のヴォイド。今はそうでもないけど、昔とかは深い森の中にポッカリ空いた何もない空間っていうのはそれだけで神聖なんじゃないだろうか。
神社建築の歴史にそれほど造詣があるわけではないけど、神社の起源って、もともと神聖な森の中にヴォイドを作ってその中心に神木を建てるというもの(むしろ逆で神木があってその周りをヴォイドにしたのかもしれない)だっていうのは少し聞いたことがあるような気がする。
つまり、この水分神社はそういうヴォイドの神聖さのようなものを空間性として用いているのではないだろうか。真ん中に立っていた桜が神木なのかどうかは、わかりかねるけど。
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建物の隙間から外部の森を見る。
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森の中に直線的な影が落ちる。

水分神社の名称と関係があるのかわからないが(たぶんあると思うが)、境内には水路がはしっている。行った時にはほとんど水は流れてなかったが。
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森の中にあって、ぽっかりと空が見えるのが気持ちいい。
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門前には小さな集落もある。
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この集落の家の建ち方も少し面白くて、あんまりいい写真がなかったんだけど、上の2枚の写真のように家屋と中庭が断面的に構成されており、さらに前面道路とも断面的な関係性を持って接続している。(道路と軒が接していたり、中庭に2階が面していたり、道路から掘り込んで中庭を形成していたり、その他いろいろ。)特に道路からレベルの下がった中庭は、丸見えなんだけど、いい感じの囲われ感っぽくて、ちょっと楽しそうでした。

中庭というヴォイドを作る構成は水分神社の構成とも少し近い気もしました。
どういう影響関係があったのか、またはそもそも影響関係があったのかは不明ですが、この門前集落以外の吉野山の家にはほとんど中庭の構成は見られませんでした。他は主に道に接して建物が建ち、大きな開口がある、みたいな商業向きのものが多かった。そうであれば、集落によって住む人間の社会的立ち位置が異なっていたとかかもしれません。


空間を語る時には、空間をコンテクストとの関係から見ると同時に、コンテクストを(ある意味で)無視しながら見る、2つの視点が必要なのかな、と最近考えているのだけれども、どうなのでしょう。
それではまた。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-05-18 01:28 | 空間
空間カテゴリ
空間カテゴリの説明。

僕が体験してきた空間を、写真の言葉(つまりブログで可能な伝達手段)によって記述してみようという試み。

空間をどのように伝えられるか、ひいてはどのように表現できるかを探る実験の一端。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-05-18 00:12 | 空間