松本剛志の考えること
by matsumo5402
カテゴリ:雲り( 60 )
北京空港
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巨大な環境だからこそ、肌理の細やかな構成の表現が、効いてくることもあるのだな、と思った。北京の空港です。
全体を通して肌理の細やかな表現が為されるが故に、全体性を持ち得ている。教会堂などに近い空間の作り方だと思いました。
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by matsumo5402 | 2010-03-13 02:40 | 雲り
サイドバー
このブログのサイドバーに、twitterのつぶやきを見れるツールを設置してみました。
僕は最近、ブログを放置気味ですが、実はtwitterの方でつぶやき続けておりました。

しかし、ブログも書かねばなりません。

なんやかんや書くネタはたくさんあるけれども、いざ書こうとすると尻込み。

もう少ししたらきっと書くので、暖かく見守って下さい。よろしくです。


あ、それからそういえば、明けましておめでとうございます、みなさま!!!
by matsumo5402 | 2010-01-11 11:19 | 雲り
ポートフォリオ
ポートフォリオをweb上につくろうと思ってはや一年。つくってない。
でも僕のつくった作品のおかれてる文脈は、まだ僕自身の中にしか無いから、つまり誰かのためにつくったものが無いから、今後、このブログの中で、自分語りの材料としてイメージなりコンセプトなりを断片的にチラつかせるとかでも面白いかも。本当のところ紙媒体のポートフォリオの方でそういうことできないかと思ったけど、紙に文章とか落とし込んだらそれだけで完全になってしまうから結局できなかった。紙の方はもはや僕という文脈さえも全く無視して羅列するようにした。つまり表層だけみせることにした。そうすることで読んでもらうのではなく見てもらうことにした。ウィンドショッピングのようにね。一方このブログは読んでもらう、つまり僕という文脈に則ったコミュニケーションの舞台だから、その中に僕の作品の断片をチラつかせることは可能ということ。
まー、でも、ちゃんとしたギャラリー形式のポートフォリオもweb上に作らなけどね。できたら…

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って言って、最近作りかけの作品の写真をとりあえず載っけてみたけど、これをどうやって文脈の中に組み込んでいけばいいのやら…笑。はたして写真というメディアは適切か?それ以前に作品のイメージは作品を語るコト無しに意味をもちうるだろうか?んー、と、まあ、いきなり壁にブチ当たりー。試行錯誤をしなくては。
by matsumo5402 | 2009-11-16 03:36 | 雲り
伝統についてB
“伝統”ということに関して、最近twitterでの議論の中で触れることがありました。
“伝統”に関しては、僕が学部3年生の春、約3年半前に、真剣に考えることがありました。
なぜなら学校の課題だったからなのですが。笑
この時考えたことは、僕の倫理におけるベースになっています。
ということで、その時論じたことを、そっくりそのまま転載してみようと思います。
コメントなどもらえたら嬉しいです。

※出題は古賀徹先生でした。

伝統についてAと合わせてお読みください。


太字は課題文



2.上(伝統についてA)に挙げた伝統的な要素のうち新しいもの、伝統的でない要素のうち古いものをひとつづつ挙げて、その理由を説明しなさい。

・伝統的な要素のうち新しいもの
鉄骨で組まれた藤棚。素戔鳴神社には、かなりの樹齢であると思われる大藤がある。この大藤がここまで大きくなった理由の一つはやはり藤棚の存在であると考えられる。それは、かなりの昔から人々が藤棚を組み続け、その範囲を広げ、かつ現在の形を保持してきたはずだからである。
もちろん昔は鉄骨などなかったから、木などを使って藤棚を組んでいたと考えられる。ここで、伝統的と言えるのは藤棚の物体そのものというよりも、むしろ藤棚の果たす役割なのではないだろうか。だからこそ、このような伝統的なものに鉄骨のような比較的新しい材料が使われることが可能であったのだと考える。

・伝統的でないもののうち古いもの
町中の商店の面構え。まず、この写真のような商店の看板をかねたパラペットの多くは伝統的な要素を含んでいるとは言い難いので、伝統的でないものとして理解する。ここで、そのようなもののどういった点が古いと言えるのかというと、見た目である。一口に見た目と言っても、例えばそれはデザインであったり、サビやススが目立つなど、様々なものが総合的に古いのであるが、ここで言う古いというのはマテリアル自身の物質的な古さである。


3.上記に基づいて、伝統的なものと古いものとの概念上の違いを200字で説明しなさい。

伝統的なものと古いものとの違いは、極端に言うと形式か物質かということではないかと考える。昔からあって今なお存在する形式を持つものを伝統的なものといい、昔からあって今なお存在する物質を古いものというのではないだろうか。つまり伝統的なものと古いものの違いは、時系列におけるソフトかハードかということであり、対象によってはこの二つが同時に存在するものもあれば、どちらか一方だけの場合もあるようだ。


4.1(参照:伝統についてA)で挙げた要素のうち、伝統的なものの中で良いものと悪いものに分けなさい。

良いもの…1)、3)、5)
悪いもの…2)、4)


5.1(参照:伝統についてA)で挙げた要素のうち、伝統的でないものの中で良いものと悪いものに分けなさい。

良いもの…A)、B)、C)
悪いもの…D)、E)


6.「好き・嫌い」という判断と「良い・悪い」の判断はどう違うか100字で説明しなさい。

「好き・嫌い」という判断は、その評価者が評価対象の造形などのイメージから受ける印象が直感的に好ましいかどうかであり、「良い・悪い」という判断は、評価者が客観的に対象の社会性や様々な状況に応じて求められた要求をクリアしているか否かによって決定されると考える。


7.上記4,5で行った価値判断の統一的な基準とその根拠を400字で説明しなさい。

今回、良い・悪いの判断を行う上での一貫した価値基準として用いたのは「それらの要素に関わった人々の自発的、積極的な意思を感じることができるか。」というものである。これは決して主観的・感情的な価値判断ではなく、客観的・分析的な思考に基づく。例を挙げてその根拠を示そうと考える。
伝統的なものの中で良いと評価した、小石の乗った石塔や干された植物などからは、ある形式を用いながらも、それは義務的なことではないと考えられることから、それは人々が自発的に行った行為であることがわかる。その行為を行う原理となる人々の感情は楽しいだとかおいしいだとか、そういうものであると考えられるから、その行為自体は非常に積極的であろう。
一方、悪いと評価した、伝統的な建築の造形をモチーフとしたファサードや、鉄骨で組まれた藤棚からは、何らかの形式に制限され、形式のみしか残っていない姿が見られる。こういったものからは人々の積極的な意志は感じられない。


8.伝統的なものとはどういうものか、具体的な事例に基づいてその概念を定義し、なぜそう考えたのかをあわせて400字で説明しなさい。

伝統的なものとは過去から現在に至るまで何らかの効力を持って引き継がれている何らかの形式を持ったものだと考えられる。つまり伝統とは形式であり、伝統的なものという認識は、物質自身の古さといったものには起因しないと考えられる。こう考える根拠としてわかりやすいのは「伝統的な行事」の事例である。伝統的な行事というものは、昔から存在するある形式に則って、ある行為を行うものであるが、その行為を行うものが必ずしも“古い”とは限らない。もちろん、その行為が昔から存続しているということを示すために象徴的に何らかの“古い”ものをツールとして用いることはあるにしろ、基本的にそういった行為自体が、物理的な時間上で永続的に少しも途切れることなく続いているとは考えにくい。行為そのものではなく、ある形式に歴史性が存在しているのである。
また、伝統的建築と呼ばれるものも、その外観や素材、空間構成がある形式に則っていたとすれば、たとえ材料が新しいものであったとしても伝統的建築として一般に認識される。


9.あなたがこれまで生きてきた中で、あなたが定義した「伝統的なもの」の概念にかなう事例によってあなたの自由や生き方が制限されたことについて、400字で説明しなさい。

伝統とは形式であるがゆえに行動や造形などを程度の差はあれ制限するという性格を持つものであると考える。
具体的な例を1つ挙げるとすれば、子供の頃に参加していた浮立という行事である。この行事はその年の豊作を祈願し、笛や太鼓や鐘をあるリズムに合わせて演奏するという伝統的なものである。この際、リズムはもちろん演奏するときの体の動かし方から、そのときの衣装まで、その形式によって制限されている。こういった状況においては、あるいはある種の表現の自由が制限されていたかもしれない。しかしこの場合、制限されることによって全体が共有していたある1つの表現すべきことが、より純粋に表現されるということも同時に起こっていた。
ある形式に従い、ある“こと”や“もの”を成す場合、ある種の自由や生き方は制限されるが、それが自主的かつ積極的に行われたか否かによって、その“こと”や“もの”良し悪しが分かれるものであると考える。


10.9の事例にも関わらず、伝統的なものが保全されるべきであるとすれば、それはどのような理由によるか。伝統的なものが持つ否定的な側面を考慮に入れながら400字で説明しなさい。

問9において記述したとおり、伝統とは形式であるがゆえに何かを制限するものである。そういうフォーマットである伝統とそれを利用する人々との関係性において良し悪しが決定づけられるということは問7において論じたとおりである。
そして、伝統的なものが保全される理由は、伝統的なものが何らかの効果的な影響をもたらすことが経験的に理解されているからではないだろうか。今でこそ伝統となって何度も使い古されたフォーマットも、それは必ず誰かが何らかの必要に応じて作ったものであり、それが何かしらの良い影響をもたらしたことによって次へ次へと保全されていくのである。
それゆえに、伝統を継承するということは形式と同時に、その形式の本質的な理念のようなものも同時に理解する必要があるだろう。この手続きを踏まずに、形式だけにとらわれ、その形式が当てはめるべき状況を誤ると、制限された中身に何の意味もなくなる危険があると考える。
by matsumo5402 | 2009-11-13 04:25 | 雲り
伝統についてA
“伝統”ということに関して、最近twitterでの議論の中で触れることがありました。
“伝統”に関しては、僕が学部3年生の春、約3年半前に、真剣に考えることがありました。
なぜなら学校の課題だったからなのですが。笑
この時考えたことは、僕の倫理におけるベースになっています。
ということで、その時論じたことを、そっくりそのまま転載してみようと思います。
コメントなどもらえたら嬉しいです。

※出題は古賀徹先生でした。

伝統についてBと合わせてお読みください。


太字は課題文

1.黒木町の様々な要素のうちで伝統的なもの、伝統的でないものについてそれぞれ5つを挙げなさい。

<伝統的なもの>

c0160617_444982.jpg1)小石の乗った石塔
津江神社境内の池の中に立つ石塔にはたくさんの小石が乗っている。
これは昔から伝統的に願掛けの一種として行われてきた行為ではないだろうか。もちろん子供たちが遊びの一種として行ったものでもあるのだろうが。

c0160617_464182.jpg2)ファミリープラザくりやま
黒木町ではこのような造形の前面ファサードを持つ商店がいくつか見られた。
この造形のモチーフは、入母屋の切妻屋根といった伝統的な屋根の形状であると考えられる。

c0160617_475629.jpg3)干された植物
自分で採取したであろう植物を乾燥させている。詳しくはわからないが、何か食料として用いるのではないだろうか。
こういったものは昔から伝わる伝統的な製法で作られる場合が多いと考えられる。

c0160617_484885.jpg4)藤棚
鉄骨で藤棚が組まれている。元々は木で組まれていたのではないだろうか。その木が老朽化した後に、耐久性が高い鉄骨を用いたのではないだろうか。

c0160617_495449.jpg5)お茶屋
多くの店舗が軒の部分をパラペット化し、看板として用いているのに対し、この店はまだ伝統的に受け継がれてきたであろう商店の面構えをしている。



<伝統的でないもの>

c0160617_4113941.jpgA)鳥の巣の下の板
軒下に作られた鳥の巣。その下に板が打ち付けられている。鳥が下に落ちないためか、フンが落ちないためなのか定かではないが、何らかの状況に応じて臨機応変に取り付けられたものであると考えられる。

c0160617_41255.jpgB)川のそばの電灯と注意書き
豊後別路が矢部川と最も接近するところに、路地から矢部川に抜ける場所がある。その路地が川に突き当たるところに電灯と『水難注意」と書かれた注意書きがあった。これもまた、その状況に合わせ、設置されたものであると思われる。

c0160617_4132360.jpgC)鳥居とタワー
素戔鳴神社と書かれた鳥居の近くに公民館があり、消防用のタワーがそびえ立っている。素戔鳴神社の分社などがあるのだろうか。
しかしこのような場合は鳥居を伝統的な建造物というより、一種のランドマークとして捉えているのではないだろうか。そしてこのタワーもまたランドマークとなっており、一カ所に二つの意味合いの異なるランドマークがレイヤー化している。

c0160617_4141731.jpgD)3種類の塀
この地域では丸い石を使った塀が伝統的に用いられているが、中にはブロック塀やレンガの塀も多く見られる。
この場所ではその3つが同時に見られる。

c0160617_4151316.jpgE)商店の面構え
一見すると全体がキューブである建物に見えるような面構えであるが、後方に勾配を持つ瓦屋根が見えるので、道に面する部分だけを一部リノベーションしたものであると考えられる。



つづく。伝統についてBを参照して下さい
by matsumo5402 | 2009-11-13 04:16 | 雲り
大蜘蛛
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ちょっと文章のリハビリをしばらくしていきたいと思います。


最近近所でもボコボコ建物が無くなって空地になったりしています。ボコボコは言い過ぎです。ボコ…ボコ…くらいなペースです。見慣れた風景の中でいきなり空地ができると、いろいろな発見ができます。都市の構造(のように思えるもの)がふと現れたりします。それは裏があって側面があって地面がある、見上げると空もある、というような当たり前のことを目の前にあるもの、触れることもあるいは可能なものとして知覚することです。つまり、本来なら触れられるはずのものが僕たちからことごとく引き離されていたのだということを感慨深く理解するわけです。

それから、僕はこの前実家に帰った時に夜トイレに行こうとすると廊下に大きな蜘蛛がのそりとしていたのでその時はやたらと驚いたのですが、彼(大蜘蛛)は、僕らが彼を招き入れたわけでないし、使い方を教えたわけでもないにも関わらず、僕の家の中の壁や床とかを彼の地面として獲得しているのだということを考えると、とても感慨深くなりました。なぜなら彼はゴキブリみたいにバカみたいにジタバタしなかった。彼はじっくり僕と対峙していたわけです。コミュニケーションが発生していました。

その時強く思ったのは、僕はこの大蜘蛛のように、誰のものとも知れない都市を、僕自身のものとしてことごとく獲得していってみせるぞということです。もちろん「所有」とかとは違う意味での「獲得」です。異常な物持ち癖の僕が言うのもおかしな話かもしれませんが、一般的な「所有」というのはひどく窮屈な概念だと思います。この概念が窮屈だからこそ、逆説的に悪質なフリーライダー的行いが発生すると思うのです。「所有」の概念をもっとズラしつつ拡張する必要があると思います。話が逸れましたが、いずれにせよ僕が思った「獲得」は、そういうあらゆる「所有」とは一線を画す方法であるように思います。

うまく言葉にできませんが、あの大蜘蛛の“居方”はとても魅力的に思いました。
場所とコミュニケーションをしていた…そうも言えるかもしれません。
少し違うかもしれませんが、僕は小さな子どもの頃、親の運転する車の窓をひゅんひゅん通り過ぎる建物に自分の姿を見るという危ない癖を持っていました。自分が通り過ぎる建物から建物へと高速のスピードと超人的なジャンプ力で移動している姿をずっと目で追っていました。
都市を「獲得」することの中には、そういう妄想もあるいは含まれるのかもしれません。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-09-26 04:17 | 雲り
心構え
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ネット上でのあるやり取りを見ていて、言説による攻撃(のようなもの)を受けたときの対処の仕方というのはセンスだな。と思いました。(アドバイスではないよ。攻撃よ。)そしてたぶんこのセンスは心構えと経験値の問題だと思いました。批評に晒された時に飄々としておけるかどうかは、普段から批評に晒される心構えを持たざるを得ない環境に身をおくか否かですね。これを怠っていると、いざの時にどうしようもないのでしょうね。

自分に言い聞かせ。

でも、僕は僕の何に対して批評を浴びようとしているのだろうか…

そこだ!僕に足りないのは!その覚悟か!決意か!
材料はあるわけよね。もっと出していかないと!


…て、なんか僕が嫌いな自己啓発的文章やな、これ。精神論にしか頭が回らなくなっている自分が悲しい。
by matsumo5402 | 2009-09-26 02:49 | 雲り
谷川さん
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この虚脱感を村上春樹のせいにばかりしていても仕方がないので、のそのそとやることやろうとしていたら、メビウスの輪とトーラス体との根本的な違いがいまいちピンと来なくて、なんか頭悪いなーって落ち込んでしまいました。

それにしても谷川俊太郎の夜のミッキー・マウスという詩集がすごいです。グイグイきます。パワーがあります。想像力とはこのようにして発現していきたいものだと思わされる。
by matsumo5402 | 2009-08-10 23:01 | 雲り
MURAKAMI
村上春樹を読んでしまったら、なんかえも言われぬ虚脱感に襲われています。いや、むしろ、半ば積極的に浸っています。これが村上春樹の楽しみかただと、常々思います。自分が内側にシューッと収まっていくような感覚があります。
これからしばらくは、村上龍を読むようにしようと思います。



さて、
今日はバーベキュー

…なのか?
by matsumo5402 | 2009-08-09 17:43 | 雲り
パリ
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昔パリに一回行ったのをいいことに、パリの写真を執拗に載せてみるコーナー。
シリーズ化するかはわからんけれども。


ポンピドゥーセンターの前の広場。シエナのカンポ広場もそうだけど、広場に少し傾斜がついてて、だからみんな基本的には自然と同じ方向を向いて座ることになる。もちろん傾斜の下の方向に対して。建物の上から見ると面白いです。同じ方向に座るという(緩やかで自然発生的な)ルールによって、集まり方(くっつき方、離れ方)も微妙に規定されている。確かに身体の動きは少々制限されるが傾斜はそんなにキツくないし、制限といっても些細なものである。それよりも、そういう些細なルールを皆で共有するということは、とても安心するし、楽しいものである。

ランダムな行為が入り込んできた時に、場の力(システム)がほんのり顕在化する。

ベタかもしれないけど、僕が今一番面白いと考えている環境のあり方です。
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カンポ広場
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あと、そういえばこれ、もうすぐできるそうですね。フランス帰りのsお君が言ってました。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-07-29 22:52 | 雲り