松本剛志の考えること
by matsumo5402
伝統についてB
“伝統”ということに関して、最近twitterでの議論の中で触れることがありました。
“伝統”に関しては、僕が学部3年生の春、約3年半前に、真剣に考えることがありました。
なぜなら学校の課題だったからなのですが。笑
この時考えたことは、僕の倫理におけるベースになっています。
ということで、その時論じたことを、そっくりそのまま転載してみようと思います。
コメントなどもらえたら嬉しいです。

※出題は古賀徹先生でした。

伝統についてAと合わせてお読みください。


太字は課題文



2.上(伝統についてA)に挙げた伝統的な要素のうち新しいもの、伝統的でない要素のうち古いものをひとつづつ挙げて、その理由を説明しなさい。

・伝統的な要素のうち新しいもの
鉄骨で組まれた藤棚。素戔鳴神社には、かなりの樹齢であると思われる大藤がある。この大藤がここまで大きくなった理由の一つはやはり藤棚の存在であると考えられる。それは、かなりの昔から人々が藤棚を組み続け、その範囲を広げ、かつ現在の形を保持してきたはずだからである。
もちろん昔は鉄骨などなかったから、木などを使って藤棚を組んでいたと考えられる。ここで、伝統的と言えるのは藤棚の物体そのものというよりも、むしろ藤棚の果たす役割なのではないだろうか。だからこそ、このような伝統的なものに鉄骨のような比較的新しい材料が使われることが可能であったのだと考える。

・伝統的でないもののうち古いもの
町中の商店の面構え。まず、この写真のような商店の看板をかねたパラペットの多くは伝統的な要素を含んでいるとは言い難いので、伝統的でないものとして理解する。ここで、そのようなもののどういった点が古いと言えるのかというと、見た目である。一口に見た目と言っても、例えばそれはデザインであったり、サビやススが目立つなど、様々なものが総合的に古いのであるが、ここで言う古いというのはマテリアル自身の物質的な古さである。


3.上記に基づいて、伝統的なものと古いものとの概念上の違いを200字で説明しなさい。

伝統的なものと古いものとの違いは、極端に言うと形式か物質かということではないかと考える。昔からあって今なお存在する形式を持つものを伝統的なものといい、昔からあって今なお存在する物質を古いものというのではないだろうか。つまり伝統的なものと古いものの違いは、時系列におけるソフトかハードかということであり、対象によってはこの二つが同時に存在するものもあれば、どちらか一方だけの場合もあるようだ。


4.1(参照:伝統についてA)で挙げた要素のうち、伝統的なものの中で良いものと悪いものに分けなさい。

良いもの…1)、3)、5)
悪いもの…2)、4)


5.1(参照:伝統についてA)で挙げた要素のうち、伝統的でないものの中で良いものと悪いものに分けなさい。

良いもの…A)、B)、C)
悪いもの…D)、E)


6.「好き・嫌い」という判断と「良い・悪い」の判断はどう違うか100字で説明しなさい。

「好き・嫌い」という判断は、その評価者が評価対象の造形などのイメージから受ける印象が直感的に好ましいかどうかであり、「良い・悪い」という判断は、評価者が客観的に対象の社会性や様々な状況に応じて求められた要求をクリアしているか否かによって決定されると考える。


7.上記4,5で行った価値判断の統一的な基準とその根拠を400字で説明しなさい。

今回、良い・悪いの判断を行う上での一貫した価値基準として用いたのは「それらの要素に関わった人々の自発的、積極的な意思を感じることができるか。」というものである。これは決して主観的・感情的な価値判断ではなく、客観的・分析的な思考に基づく。例を挙げてその根拠を示そうと考える。
伝統的なものの中で良いと評価した、小石の乗った石塔や干された植物などからは、ある形式を用いながらも、それは義務的なことではないと考えられることから、それは人々が自発的に行った行為であることがわかる。その行為を行う原理となる人々の感情は楽しいだとかおいしいだとか、そういうものであると考えられるから、その行為自体は非常に積極的であろう。
一方、悪いと評価した、伝統的な建築の造形をモチーフとしたファサードや、鉄骨で組まれた藤棚からは、何らかの形式に制限され、形式のみしか残っていない姿が見られる。こういったものからは人々の積極的な意志は感じられない。


8.伝統的なものとはどういうものか、具体的な事例に基づいてその概念を定義し、なぜそう考えたのかをあわせて400字で説明しなさい。

伝統的なものとは過去から現在に至るまで何らかの効力を持って引き継がれている何らかの形式を持ったものだと考えられる。つまり伝統とは形式であり、伝統的なものという認識は、物質自身の古さといったものには起因しないと考えられる。こう考える根拠としてわかりやすいのは「伝統的な行事」の事例である。伝統的な行事というものは、昔から存在するある形式に則って、ある行為を行うものであるが、その行為を行うものが必ずしも“古い”とは限らない。もちろん、その行為が昔から存続しているということを示すために象徴的に何らかの“古い”ものをツールとして用いることはあるにしろ、基本的にそういった行為自体が、物理的な時間上で永続的に少しも途切れることなく続いているとは考えにくい。行為そのものではなく、ある形式に歴史性が存在しているのである。
また、伝統的建築と呼ばれるものも、その外観や素材、空間構成がある形式に則っていたとすれば、たとえ材料が新しいものであったとしても伝統的建築として一般に認識される。


9.あなたがこれまで生きてきた中で、あなたが定義した「伝統的なもの」の概念にかなう事例によってあなたの自由や生き方が制限されたことについて、400字で説明しなさい。

伝統とは形式であるがゆえに行動や造形などを程度の差はあれ制限するという性格を持つものであると考える。
具体的な例を1つ挙げるとすれば、子供の頃に参加していた浮立という行事である。この行事はその年の豊作を祈願し、笛や太鼓や鐘をあるリズムに合わせて演奏するという伝統的なものである。この際、リズムはもちろん演奏するときの体の動かし方から、そのときの衣装まで、その形式によって制限されている。こういった状況においては、あるいはある種の表現の自由が制限されていたかもしれない。しかしこの場合、制限されることによって全体が共有していたある1つの表現すべきことが、より純粋に表現されるということも同時に起こっていた。
ある形式に従い、ある“こと”や“もの”を成す場合、ある種の自由や生き方は制限されるが、それが自主的かつ積極的に行われたか否かによって、その“こと”や“もの”良し悪しが分かれるものであると考える。


10.9の事例にも関わらず、伝統的なものが保全されるべきであるとすれば、それはどのような理由によるか。伝統的なものが持つ否定的な側面を考慮に入れながら400字で説明しなさい。

問9において記述したとおり、伝統とは形式であるがゆえに何かを制限するものである。そういうフォーマットである伝統とそれを利用する人々との関係性において良し悪しが決定づけられるということは問7において論じたとおりである。
そして、伝統的なものが保全される理由は、伝統的なものが何らかの効果的な影響をもたらすことが経験的に理解されているからではないだろうか。今でこそ伝統となって何度も使い古されたフォーマットも、それは必ず誰かが何らかの必要に応じて作ったものであり、それが何かしらの良い影響をもたらしたことによって次へ次へと保全されていくのである。
それゆえに、伝統を継承するということは形式と同時に、その形式の本質的な理念のようなものも同時に理解する必要があるだろう。この手続きを踏まずに、形式だけにとらわれ、その形式が当てはめるべき状況を誤ると、制限された中身に何の意味もなくなる危険があると考える。
by matsumo5402 | 2009-11-13 04:25 | 雲り
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