松本剛志の考えること
by matsumo5402
大蜘蛛
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ちょっと文章のリハビリをしばらくしていきたいと思います。


最近近所でもボコボコ建物が無くなって空地になったりしています。ボコボコは言い過ぎです。ボコ…ボコ…くらいなペースです。見慣れた風景の中でいきなり空地ができると、いろいろな発見ができます。都市の構造(のように思えるもの)がふと現れたりします。それは裏があって側面があって地面がある、見上げると空もある、というような当たり前のことを目の前にあるもの、触れることもあるいは可能なものとして知覚することです。つまり、本来なら触れられるはずのものが僕たちからことごとく引き離されていたのだということを感慨深く理解するわけです。

それから、僕はこの前実家に帰った時に夜トイレに行こうとすると廊下に大きな蜘蛛がのそりとしていたのでその時はやたらと驚いたのですが、彼(大蜘蛛)は、僕らが彼を招き入れたわけでないし、使い方を教えたわけでもないにも関わらず、僕の家の中の壁や床とかを彼の地面として獲得しているのだということを考えると、とても感慨深くなりました。なぜなら彼はゴキブリみたいにバカみたいにジタバタしなかった。彼はじっくり僕と対峙していたわけです。コミュニケーションが発生していました。

その時強く思ったのは、僕はこの大蜘蛛のように、誰のものとも知れない都市を、僕自身のものとしてことごとく獲得していってみせるぞということです。もちろん「所有」とかとは違う意味での「獲得」です。異常な物持ち癖の僕が言うのもおかしな話かもしれませんが、一般的な「所有」というのはひどく窮屈な概念だと思います。この概念が窮屈だからこそ、逆説的に悪質なフリーライダー的行いが発生すると思うのです。「所有」の概念をもっとズラしつつ拡張する必要があると思います。話が逸れましたが、いずれにせよ僕が思った「獲得」は、そういうあらゆる「所有」とは一線を画す方法であるように思います。

うまく言葉にできませんが、あの大蜘蛛の“居方”はとても魅力的に思いました。
場所とコミュニケーションをしていた…そうも言えるかもしれません。
少し違うかもしれませんが、僕は小さな子どもの頃、親の運転する車の窓をひゅんひゅん通り過ぎる建物に自分の姿を見るという危ない癖を持っていました。自分が通り過ぎる建物から建物へと高速のスピードと超人的なジャンプ力で移動している姿をずっと目で追っていました。
都市を「獲得」することの中には、そういう妄想もあるいは含まれるのかもしれません。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-09-26 04:17 | 雲り
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