松本剛志の考えること
by matsumo5402
愚痴
デザインでお金をもらうということはどういうことか?

その場しのぎに次々と処方箋を与え続けることか?
大局的に事を憂いて大手術を施そうとするものか?

前者は過剰すぎると依存性を生じさせる。麻薬に近い。
後者は失敗すると後遺症を残す。それ以前に成功、というか実現した例をほとんど見た事がない。

極端な例を二つ述べたが、要は両端のバランスだろうということだと考えている。

大局的な視点をもちつつ、状況に応じて状況に応じた処方箋を与える。時に小さな手術ぐらいはする覚悟ももちつつ。


こういうように考えると、バランスをとることは当然の事ですよね。

でもなかなかそうはいかないのが不思議です。

社会の仕組み自体がそういうバランス感覚をもつ事を許さないというのはあるのかもしれない。

でも一番大きな問題は、仮にもデザイナーと称し呼ばれるような人種自身が、勝手に住み分けをしようとしていることだ。いや、住み分けまではいいとして、そこから出ようとしない、あるいは寄せ付けないことだ。


「フィールドが違う」「バックグラウンドが違う」「方法が違う」「考え方が違う」「規模がでかい」「規模が小さい」「成金趣味」「ヒューマニズム」「アカデミック」「ロマンチック」「シニカル」「かわいい」「インテリっぽい」「偉そう」「卑屈」「論理的」「恣意的」「現実的」「非現実的」「わけわからん」
…だからあの人達とは関わりません!!


あーーー、

嫌になるよね


まあ、自分も含めてかもしれんが、

なんでもっと歩み寄らんの


っちゅうこと。

なぜなら、お互い“違い”は当然あって、でもそこに踏み込んでいかないと極端になるしかないでしょう。

相手に同化しろという事ではなくて、そこから可能性を引き出せるはず

極端というのは原理主義の始まりにも近いんでは?おそろしいよ


っちゅうことを、
修論考えて思うよ。

うちの大学院でプレゼンするとなると余計そう思う。
うちの大学院のマジョリティ(あるいは一部の声の大きな人)の言い分。
アカデミックな研究より実社会での体験の方が優越する。研究はさておき、ひたすら社会の振る舞いを修得せよ。
??何のための大学院??
その二つをハブする事にうちの専攻の意義があるんでないのか?
そういう意味ではすごく可能性のある専攻だと思っているのだけど…なかなか


まあ、愚痴はそんなところで、そういうなかで、いろんな人間を巻き込みながら建設的な議論が展開できるような研究にしたいと思うわけです。今のうちの専攻の体質に揺さぶりをかけれたらよいなー


それともう一つ、今までの話からは逸れるかもけど、優れた歴史研究というものは、大局的に見た時に“研究のための研究”にとどまらないはずだという事も、ぜひぜひ認めさせたいところやねー
研究として“今”を扱うのは大切だけど、それでは“今”とは何かということを、いろんな人に考えてもらいたいものです。
by matsumo5402 | 2009-07-10 01:40 | 晴れ
<< タダと公共 目利き力 >>