松本剛志の考えること
by matsumo5402
モチベーション
「やりたいこと」という言い方はあまり好きではありません。
何かを「やりたい」と思う気持ち(モチベーション)は基本的に一つの「こと」に還元されないように思うからです。

そうは言っても人間の行動をミクロに見ていくと、常に「やりたいこと」は存在しているとは思います。
僕が言いたいのは、人間の活動を人生レベルとかでマクロに観察しようとする時に、ひとつの「やりたいこと」の中に総括してしまいたくないということです。
昨今の社会システムは、僕らにそういう普遍的な「やりたいこと」を強要しがちであるような気がしています。

僕の持論なのですが、物事に対するモチベーションとは、必死になって見つけようとするものではなく、何かをコツコツとやってる時に、じんわりと出現してくるものであってもいいと思うのです。
だから最初にコツコツやる「何か」は、一番近くにあって取っ掛かり易い「何か」でいいと思っています。
最初のモチベーションは「近くにあったから」とかでもいいのではないかと。
「まんねり」の中にこそモチベーションは生まれると思います。

ドラマティックなモチベーションの誕生は確かに格好いいのですが、ドラマティックじゃないモチベーションにも自信を持っていい気がしています。
なんか変な言い方ですが。

もちろん、もっとドラマティックだったり信念に満ちたようなモチベーションを持つことに対しては、完全には否定的にはなれません。
しかしながら、そういう確固たるモチベーションを持ち得なかった人がいるとして、そういう人がありもしない借り物のようなモチベーションを捏造して苦しむよりは、何か個別的で場合によっては支離滅裂であったとしても自然に湧き出てくるようなモチベーションに従った方が充実し得るのではないかと。


 
…と、まあ、ちょっとわけのわからないニートの精神論のようなことを最初に述べてしまいました。笑

何なのかというと、近いうちにやりたいなー、と思うことが一つあります。

「妹島和世」研究。
彼女の建築言語(のようなもの)はもはや日本の建築界(特に30代から20代くらいまでの世代)に決定的な影響を与えているように思います。
彼女の建築作品は「抽象的である」というようによく言われます。
にもかかわらず、多くの人が影響されているのは、抽象化後の具体的な建築空間がほとんどであるように思えてならない。
そもそも彼女が何を抽象化しているのか、あるいは本当に抽象化を志向しているのか否かを問題にすることなく、“抽象的っぽい空間の具体例”としてしか参考にされないことがほとんどだという気がしている。彼女の建築を肯定するにしても批判するにしても、基本的にはこの土俵からはみ出すことはないと思う。
こういう形骸化したものは、誤読であったり読み替えによって新たな可能性が見出されるとしたらまだ希望はあるのだが、そうならないない場合が多いというのが僕の認識である。多くが断絶すべき対象として捉えられるのではないか。
これは現在の人間が行う、モダニズムやポストモダニズムに対する批判とは、多くがそういう形骸化したものに対して向けられていることからも推察できる。

メディアの発展によって情報が多く早く手に入るようになることで、物事の形骸化とは起こりやすくなっているのではないか。
いろんなことの断絶がものすごいペースで訪れているような気がする。
もっと連続的に歴史を紡いでいくために、物事を“詳しく見る”ことをした方がいい気がする。

そういうわけで、“詳しく見る”対象として、日本においてあるパラダイムを作り出したと思われる妹島和世を扱うことは、いろんな方向に対して批評性を持ち得るような気がしている。


ボチボチやってみたいと思います。少なくとも学生のうちには。
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author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-06-19 03:26 | 晴れ
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