松本剛志の考えること
by matsumo5402
三菱地所アルティアム開館20周年記念展
三菱地所アルティアム開館20周年記念展のオープニングに行ってみてきた。

記念展の参加アーティストは荒木経惟、会田誠、奈良美智、草間彌生、江上計太、袁廣鳴、ジャナイナ・チェッペ、福田里香。

なかでも会田誠さんのジューサーミキサーを生で見れたのがよかった。

美術史的な批評は僕にはあまりできないけれども、僕の個人的感想としては、会田さんの絵画を見る時にいつも思うのは、一人でじっくり見たいということ。笑
この感覚は、マンガで言えばGANTZとかサイコとかを読む時とかにも発生してしまうんですが、というのもそれはまあ単純な感情であって、これらの絵画やマンガって基本的にグロいものやエロいものを題材に描かれる絵が多いから、熟視したり熟読する様子を他人に見られるのには抵抗があるじゃないですか。
けど、相当リアルに丁寧に解像度高く描かれてるし、優れたストーリーもちゃんとあるからどうしてもじっくり見たい。
だから一人で見たいというわけです。

ただ、そういう時でも僕はやはり、「僕はストーリーを見ているんだ」というふうに“自分”に言い聞かせるように鑑賞しています。笑
「この作品の本質はストーリーにあるんだ!」と思い込ませながら。
だから「この作品はストーリーが面白いんよね。しかも加えて絵も結構きれいなんよ。」みたいに評価するわけです。ストーリーがまず第一だというような認識で。
一方で、「とは言ってもやはり自分は絵の方を見たいんではないか」とも思う“自分”もいます。そういう“自分”をできるだけ頭の端っこに追いやりながら、絵を見るわけです。

そこから派生して僕が勝手に確信していることがあって、それは、実のところ会田さんもGANTZの奥さんもサイコの田島さんも、“絵”あるいは“イメージ”を描くために“ストーリー”を作っているというのが根本ではないかと。(まあ、サイコの場合は大塚さんが原作を作っているわけですけど。)
これは逆に言えば“ストーリー”を持つことによって、描きたい“絵”をとことん描けるようになるのではないかということ。
ちなみにここで僕の言う“絵”っていうのは、彼ら画家・漫画家の本能的な欲望のイメージのことです。

そしてこれは全ての人間の表現活動に多かれ少なかれ通低しているんではないかと。(強調しておくけど僕の勝手な確信です。)
いろいろ御託というか“理屈”を並べるけど、結局のところは自分が表現したい“イメージ”があって、質の高い“理屈”を開発するのではないかと。(ついでに言うと、それらの“理屈”がある共同体の中で普遍化する(していく錯覚に陥る)ことで文化が生まれているのではないかと。)
逆に言えば優れた“理屈”であったり“意味”を持つことによって、とことんまで自分の表現をできるのではないかと。(少なくともそうすることで表現をできるようになる人間がいるのではないかと。)
そう確信しているのです。勝手に。

絵画だけではなく、建築でも文芸でも音楽でもそこのところは一緒なのではないかと。
ストーリー(意味)を本質だと思いがちなのは、欲望(イメージ)を表現していることをなるだけ隠したいから。というか、そもそも欲望の言語化は非常に難しい。言語化というのは正当化とも同義だと思っていて、欲望って誰もが共感できるものであるにもかかわらず、なかなか正当性を与えられないものが多い。
これは作者においても鑑賞者においてもある程度同様な反応なのではないかと僕は思ったりしてます。


…だからどうした。って感じですけど笑)、そういうことを最近思うわけです。
隠したいものがあるからこそ、文化があるのではないかと。
そんな壮大なことを思うわけです。


ちなみに、今日のオープニングでは会田さんと奈良さん本人を見ました。2人とも結構普通のおっちゃんでした。人混みに違和感なく紛れていました。
そういえば奈良さんなんかはこの前ニューヨークの地下鉄にペインティングして捕まった(笑)らしいけど、まあ、確かにこれは普通に捕まるやろうな、と思いました笑。オーラが普通すぎ笑。
奈良さんごめんなさい。。まあ、能ある鷹は爪を隠しますからね。
すごく親近感を覚える人達でした、2人とも。
見ただけだけど。



あ、あと、タダでお酒も飲めます。
たぶん普通の会期中も。
入場料もタダでした。
最近タダというワードに敏感に反応してしまいます。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-05-30 23:24 | 雲り
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