松本剛志の考えること
by matsumo5402
ROUNDABOUT JOURNAL × DESIGNING ” TRANSMISSION ”_3日目vol.2
前回の投稿では5/4の昼のイベントを取り上げた。この記事では5/4夜のイベントである「若手建築家のアジェンダ [福岡]」をレポートする。


■若手建築家のアジェンダ [ 福岡 ]
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左から順に藤村、井手、平瀬、清原、井上、相良、二俣

このイベントは福岡市近辺に事務所を構え、福岡という地域を中心に活動をしている若手建築家6人+モデレーターの藤村龍至さんによるトークイベントであった。
6人の若手建築家とは、井手 健一郎・イノウエサトル・清原 昌洋・相良 友也・平瀬 有人・二俣 公一(敬称略)というメンバー。僕からすると、知っている方と、失礼ながらも存じ上げない方がちょうど半々というような構成であった。ただし知っているとは言っても、これまでに濃密なコミュニケーションがあったということではなく、メディアを通じて、あるいは巷の噂などから得た情報にて“知って”いたということであった。なので彼らの思考はほとんど初耳で、意外な発見も多々あった。そういう意味で東京の建築家の聞き慣れたレクチャーとはまた違った新鮮さを感じながら聞くことができた。

余談ではあるが、やはり僕らは(特に僕は)、建築に関してはフィジカルなものよりもメタフィジカルなものの方に大きく影響を受けているという事実に切実に気付いた。福岡といえどある程度巨大な都市であるので、“特定の人との出会い”というものを考えた時に、福岡の僕が東京の誰かと知り合う確率と福岡の誰かと知り合う確率は実はそれほど変わらないものかもしれない。だから福岡の人との関係=フィジカルということには短絡したくないが、それにしても東京の人しかほとんど僕に情報を与えないという状況には、現代におけるフィジカルとメタフィジカルの因果のようなものを考えないわけにはいかないのである。


ま、そういうわけで簡単な整理の意味も込めて、それぞれのプレゼンテーションを簡単に概観する。ちなみにこのイベントでも、藤村さんによる席替えが行われたので、その席順にレポートを行います。読むのがしんどかったら最後の総括に飛んで下さい。



:::井手健一郎:::
井手さんに関しては前回のブログにおいてもレポートを行っている。
彼は一貫して、
『建築を「翻訳的に作る」』
ことを模索しているようであった。

彼はできるだけ彼自身の主観とは距離をおきながら設計を行うことを目指したいという。彼の場合、これは客観的で普遍的な建築モデルを目指すというモチベーションではないようであった。そうではなく、設計という行為を施主や建物と関わる人々に対して開いていく(共通の言語を持ってコミュニケーションできるようにする)ことで、建築家の社会的な倫理ひいては建築家の社会的な立ち位置を得ることを目的としているように考えられる。

今回のプレゼンテーションでは主に個人が施主である住宅と週末住宅兼集合住宅の説明がなされた。空間構成の説明はほとんどなく、設計のプロセスを問題にした説明であった。
そのプロセスを聞いていて思ったのは、翻訳している自分以外の“声”は施主からの “声”オンリーであるのではないかということである。井手さんの目指すものを読み取ると、やはり翻訳すべき“声”はもっといろんなところから発せられる“声”達であるはずだし、井手さんも気付いていることであろう。そこにはやはりジレンマがあると思う。
そしてそのジレンマに光明を見出せるのが、前回のブログで話題にしたリノベーションのプロジェクトであったのではないか。

今はまだ方法論を模索しているという印象ではあるが、意志の強さに期待する価値を感じています。


:::平瀬 有人:::
平瀬さんは「ローカリティと建築の素形」というテーマで自身が関わってきたプロジェクトのプレゼンテーションを行った。
彼の履歴は今回参加していた他の建築家に比較してある意味で特徴的であった。というのは、彼は早稲田大学の古谷研究室に所属していた学生時代から連続してその後しばらく古谷事務所にて勤務している。その後スイスに渡り、地場の設計事務所と共同で設計をやるといったことを経験した後、現在佐賀大学に勤務し建築教育を行いながら設計活動を行っている。つまり九州での活動が地場での活動であるよりは、なにか放浪する旅人が偶然立ち寄った港で行う一過性のイベントのようなモノとして捉えられそうである。故に何か普遍的で抽象的なものを志向しているように思える気がする。

彼はローカリティを問題にしていたが、地場の(特に世代が上の)建築家によく見られるような盲目的で狭義なローカリティ、例えば「〜らしさ」のようなものではなく、何かもっと普遍的なローカリティのようなものを模索しているように思われた。それはかつての批判的地域主義的な文脈の連続としても理解可能であるかもしれない。ただ、彼が問題にしているのはグローバリズムによる場の均質化という部分よりは、情報化にともなう場の喪失に対しての方が大きいような印象を受けたという点で、彼の現代性と可能性を感じている。


:::清原 昌洋:::
清原さんは「わかりやすさと多様性」というテーマでプレゼンテーションを行った。
彼は主観的なイメージをとても大事にしたいと述べた。にもかかわらず、建築形態の生成原理は非常に形式的・図式的/客観的なものであった。
その辺の一見矛盾する価値をブリッヂするキーワードとしてコミュニケーションという言語を持ち出せるのではないかと思った。主観的なイメージを施主や社会に対して伝達する(あるいは共有する)手段として形式的で図式的な言語を用いる。それによって設計者と社会とのコミュニケーションを可能にしていこうと考えているのではないか。

このようなことを言うのは非常に失礼なことだと承知しているが、清原さんはあまり口達者な方ではないようであった。それが言語化されていないイメージを語ろうものなら全く言葉が出てこなくなるのは仕方のないことである。しかしながら、形式的な図式を用いて説明を行っている時には非常に口調が滑らかであった。これはやはり、形式や図式が優れたコミュニケーション言語として機能しうることを証明しているのではないかと密かに考えていました。


:::イノウエサトル:::
井上さんは「アイデンティティ・アジェンダ不在の5年間。そして…」と言うテーゼを表明しプレゼンテーションを行った。どういうことかというと、これまで様々なことと相対化を図ることなくがむしゃらにやってきた5年間を振り返りながら、今回のイベントを機に、(今回は特に藤村龍至を標的にして)自身の相対化を行う作業を行ってみたというような内容であった。

例えば、“批判的工学主義”に対する“芸術工学”。彼はかつての芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)に所属していたという履歴があり、それもあって“芸術工学”をこれまで幾度となく考えてきたが、これはどうも“芸術工学”の工学に対する姿勢は“批判的工学主義”のそれに近いのではないかと思ったという。“芸術工学”は狭義の“批判的工学主義”であると。
ちなみに僕自身は現在芸術工学部の学生をやっているが、僕の見解としては、“芸術工学”には工学から芸術へのベクトルと芸術から工学へのベクトルの両方が同時存在しているから、“批判的工学主義”をむしろ包含するもうちょっと懐の広い概念であると自負している。
ただ藤村さんが抜きん出てるのは、“批判的工学主義”に対して“超線形プロセス”という明解な方法論を表明しているという部分である。

話を井上さんに戻すが、彼の主張の骨子は、芸術=“イマジネーション”を工学=エンジニアリングによってブリッヂしよう、コミュニケーション可能にしようというところであったように思われる。(ちなみに“イマジネーション”に関する定義はこの記事の中で行っています。)


:::相良 友也:::
相良さんは「居心地をデザインする」ということを目指しているのだという。
彼は主に個人住宅を扱っているようであるが、その中で、人々の生活の場を設計する時に大事にすることは、設計者自身が「創造/想像することを楽しむ」というスタンスであるという。

これは、つまり設計をする時には設計者のテンションやモチベーションを持続させないと質の高い空間はできないのではないかという問題提起なのではないかと勝手に考えている。

設計者が、自分の考えていること心から愛し、それを施主や他者に嬉しそうに話すことこそが、コミュニケーションの基本だと考えているということではなかろうか。もしそうだとすれば、僕にとって非常に共感する考え方であった。


:::二俣 公一:::
二俣さんは「場の力と生む力」というテーマの下にプレゼンテーションを行った。彼の議論を極端に言うと、「デザイナーとは主観的で恣意的なイメージをひたすら提案し続ける職業なのではないか」といことではなかったかと思う。つまり、井手さんの議論に対して述べるとすると、いくらたくさんの“声”を取り入れ(入力し)たとしても、結局翻訳されて出力されてくるものは、主観的なイメージからはみ出ることはないのではないかということではないだろうか。そうであれば、プロセスの客観性を拠り所にある意味では妥協の連続である建築や空間のイメージを肯定するよりも、主観的なイメージを必死に伝えて共有して、さらに発展させるというコミュニケーションを行う方が、正攻法ではないのかという問題提起ではなかろうか。

僕自身は、実はそのような問題意識を抱いている。というのは、建築家の倫理観(スタンス)などというものは、実際の空間とその空間体験とは直接的には関係しないものであると思うからだ。もちろん間接的には関係することは間違いない。しかしながら“建築家としての優れた倫理観(スタンス)”=“豊かな空間”という構図は絶対に成り立たない。
僕は建築と社会との関係を議論することはとても大事だし、誰もが意識的であるべきだと考える。しかしながらその一方で、空間のためのイメージ、あるいはイメージのための空間の議論もないがしろにしてはいけないと切に思っている。そういうイメージや空間にまつわる現象を皆、“主観的”であると述べる傾向にあるが、それらが抽象化や具体化を経た後に言語化され得るものだとしたら、“社会性”の対語として最近よく言われるような意味での“主観的”であることを超え、コミュニケーション可能な対象として扱えるだろうと考えている。僕はそのようなイメージや空間にまつわる議論を大いにしていけたらと考えている。(やもすると、モダニズムに対するボザール的な感情なのかもしれませんが…笑)

ちなみに、もちろん井手さんなどがそういうことには当然意識的であることはわかっているのだが、僕が警鐘を鳴らしたいのはその次の世代であって、井手さんなどの第一次情報を誤解して咀嚼してしまうことに関してである。倫理観(スタンス)だけを遵守していけば素晴らしいものを作れるのか、否。そこには大きな隔たりがあって、“イマジネーション”をどう捉えていくかということはまた異なる水準での思考が必要となるはずだ。それこそが、翻訳者としての建築家の職能であると言えるのではないだろうか。



:::まとめ:::
なんか僕が言いたいことは全部すぐ上の二俣さんのレポートの中に書いてしまいました。なのでそちらの方だけでもぜひ読んでほしい。

つまり、建築の設計プロセスの部分、つまり建築と社会との関わり方に価値評価の重きが置かれ出した(ように見える)状況において、そういう状況の中でもやはりどうしてもモノ自体の価値評価は幾らかはなされるべきであるし、そのための研究であったり提案、議論は行っていく必要がある。それが全く無くなってしまったとしたら、藤村さんの“批判的工学主義”であったり井手さんの“翻訳するように建築を作る”というスタンスのよって立つ根拠さえも無くなってしまうのではないかということです。

これは本当に僕が切実に感じている問題意識なのです。


最後に参加者を、藤村さんのカテゴライズによるグラデーションに沿って概観してみる。
いろいろな言い方でいろいろな考え方が示されていたが、結局のところ、建築家やデザイナーが建築やデザインを発信する段階でどのように社会とコミュニケーションしていくかということを論じていたように思える。つまり、建築家やデザイナーによるメディア論として観察できるだろう。

:プロセスを形式化し誰でもコミュニケーションの仲間に加われることを目指す井手さん。彼はおそらく空間の“イマジネーション”も、誰もが持っている(はずの)一般的な感覚の一般的な説明によって獲得しようとしているであろう。
::論理的にローカリティの重要さを分析し、抽象的にローカリティを持ち込むことで、“イマジネーション”の生じる根拠から生み出す方法までを全て言語化することでコミュニケーション可能な地盤を用意する平瀬さん。
:::言葉にならないイメージを、形式的で図式的な生成原理によって実現しよう(コミュニケーションしよう)とする清原さん。
::::言葉にならないイメージを、エンジニアリング的な根拠と方法によって実現しよう(コミュニケーションしよう)とする井上さん。
:::::そもそもの実現する(コミュニケーションする)モチベーションを問題にしようとする相良さん
::::::主観的なイメージをぶつけ合うことによってしか空間に関するコミュニケーションは成立し得ないという二俣さん。

こうしてみていくと、対極におかれた井手さんと二俣さんは実は根本のところで同じ問題意識を抱いているのかもしれない。結局どのようにしたら空間に関する議論を活発に繰り広げることができるだろうかということである。
その点に関しては僕も本当に真剣に考えていきたいと思っています。




この3日間、いろんな人間の考えることを真剣に分析したことによって、逆に自分の思考が明確に浮かび上がってきたように思う。
このような機会を設けて下さった、井手さんを始めデザイニング展の実行委員の皆様、活発な議論を引き出してくれた藤村さん、そして活発な議論を交わして下さった皆様には本当に感謝しています。
どうもありがとうございました、そして本当にお疲れさまでした。


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author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-05-05 19:48 | 晴れ
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