松本剛志の考えること
by matsumo5402
ROUNDABOUT JOURNAL × DESIGNING ” TRANSMISSION ”_2日目vol.1
どんたくの2日間は毎年雨が降るというジンクスは、僕が福岡に来てからかなりの確率で当たっている気がします。今日も朝から曇りで雨も降りたくてウズウズしてそうだったけどなんとか持ちこたえてくれた。できれば明日も我慢してほしいものです。

というわけで昨日の続き。 ROUNDABOUT JOURNAL × DESIGNING ” TRANSMISSION ”の2日目のレポートです。今日は2本のイベントがありました。DESIGNING STUDENTSとSOUTH JAPAN STUDENTS MEETINGという2つ。
それでは以下にそれぞれのレポートを。


■DESIGNING STUDENTS
福岡周辺で建築や都市を考えている学生がデザイニング展に際して福岡市中央区の大名という地区をフィールドに、「大名の風景を変えるもの」というテーマ設定の下で行った、様々なアクションに関するプレゼンテーション及びそれをネタに井手さんと藤村さんの2人を交えた議論が行われました。
以下にそれぞれのプロジェクトに関するレポート。結構真面目に聞いてたから全部について簡単に書いてみる。読むのしんどかったら一番下の総括だけチェックして下さい。


:::Fukuoka-Daimyo Zakka:::田上雅彦
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普段学生が教材入れなどとして使っているようなプラスチックケース(バッグ?)のデザインを批判的に分析し、“実用性”に対して“ゆとり”を重視するという概念のもと教材入れ(?)ケースを改めてデザインしたという提案。例えばプラスチックに対してフェルト生地など。
また、A3サイズのケースを縦使いすることで、これまでのプラスチックケースに比べて実用性が増すだろうというような提案も見られた。「“実用性”に対して“ゆとり”を」というような言い方をしていたので無意識なのかもしれないが、実用性を批判することで新たな実用性が発見されているのは秀逸だと思う。とにかくプロダクトとしての完成度が高い。IMSにて実際に販売されているらしい。すでに天神の街で何人かこのケースを持ってウロウロする人を見かけた。

「大名の風景を変えるもの」というテーマ設定に対して「大名」の「大名」性を如何に読み取っているのかという質問が藤村さんからあって、それに対して設計者はあまりクリアに答えていなかったように思うが、つまり大名の風景を支配するのはファッションでありトレンドであることと、学生が多いことという前提で、そういったものに介入していく時に、学生なら誰でも持つであろう教材ケースを取りあげ、それ自身の存在を完全否定するのではなく、批評的に改善を図ることでたくさんの人に使ってもらいトレンドを作っていくという捉え方もできるのかなと僕は勝手に思っています。


:::みどりの日JACK!!:::青木 仁敬・江崎 舞・長郷 まどか・渕上 貴代
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みどりの日にあわせて行うイベントの提案であった。この日に街中で、レンズが緑のフィルムでできた紙メガネを配布する。そのメガネをしばらくかけて、外すと、そこには緑の補色であるピンク(赤)色と化した風景が広がりますよという提案。緑に染まった風景を見た後にピンクに染まった風景が見える。みどりはみどりの日に関連しており、ピンクはデザイニング展のテーマカラーに関連している。

人体の仕組みにより生じる補色という関係を媒介することで、風景を変えるというテーマを手がかりに、みどりの日とデザイニング展という異なる出来事を関連付けている。思ったのは、みどりの日に関連したデザイニング展の他の大々的なイベントがあるなどしたら、この緑のメガネのイベントはデザイニング展の中でより強い立ち位置を得たのではないか。広告的な役割として。


:::INTO THE GROUND:::塩井一孝
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彫刻の提案。風景という主題を手がかりにした作品。
作者は風景というものを変える以前にまず風景とは何かということを考え、“風景を見る”ことは目に“見えない気配を感じる”ことと同義ではないかという仮説に至る。つまり風景とは“気配の空間”であると主張する。そこで気配を感じる感覚をデザインするのだと言う。よって作品は気配を感じるための装置であるとも言えるだろう。具体的な作品は、イメージがないのが少しつらいが、一方の面に地面の形状を石工でトレースした4枚のプレートを、地面トレースの面が内側になるように正方形のパイプ状に組み合わせた作品。ただしトレースした地面は大名のものではなく、別の地域の林の中のものであった。これに関しては今はアスファルトの大名の地面もかつては土の地面であったということに対するアイロニーであるというような説明。大名という土地の時間系の中でどのポイントの気配を顕在化させるかということを考えた結果ということだろうか。ちょっとまだ理解しきれていない。

ただ、藤村さんがこの作品は内向的であると指摘していたが、僕はこの作品は制作動機から制作プロセスまでが十分一般的でコミュニケーションできる言語で説明されていたという点において、非常にオープンな性格を持っているのではと思った。


:::そらぞめ:::小川 由香・清水 綾乃・猿木 結子・奥藤 あゆ美・中川 祐介・北川 龍之助・井谷 宇志
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天神地区のきらめき通りというストリートを歩く人々に無差別にピンク色の風船を配布し、同時刻に空に飛ばしてもらうことで、視覚的に上空の風景を変え、地上の人々のアクティビティに影響しようという提案。

井手さんなどから公共空間においてこのようなイベントを成立させ得た、イベントセッティングの力を評価されていた。

風船ネタにはどうしてもサイドストーリーを期待してしまう。例えばありがちだけど、風船の中に花の種が入っていて、風船がどこかの地面に落ちた後にそこに一輪の花が咲く。大名の風景をほんの一瞬だけ強烈に変えた後にどこか知らない場所の風景をささやかに演出する。みいたな。ちょっと安っぽいストーリーでごめんなさい。


:::彩:::小金丸和晃
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街歩きをする時の「いろいろなものとの出会い」という経験を「との出会い」という経験とオーバーラップする(たぶん…)。これは土居義岳さんがその著書において言うような「言語から形態への向こう見ずののジャンプ」というようなアプローチとして批評できる…気がするけど、プレゼンではモノ自体の説明がなく、よく理解していません。ごめんなさい。機会があれば詳しく聞きたいです。


:::大きなスカート:::今林 寛晃・橋本 薫
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衣服であるスカートを等比拡大して、人間が潜り込めるスケールの空間をスカートの下に作るというプロジェクト。作者は建築と衣服のそれぞれの専門家であり、異なる領域のデザインが互いに歩み寄った時に何が生まれるかという実験的なプロジェクトであった。建築と衣服との関係を巡る議論や作品はこれまでにもたくさんあるが、この提案のように衣服がこれまでの衣服として機能しなくなるところで衣服と建築の調停を行ったということをやった作品はなかなかないような気がする。

ちなみにスカートの中にはしっかりとパンツも装備されており、スカートの下から(神聖なる)パンツを覗き込む行為が、ズントーの教会のような空間で頭上から挿し込む(神聖なる)光を見上げる行為と類似しているというようなプレゼンテーションに笑えた。

この先の展望として何が見えているのかに興味があります。


:::foundSCAPE:::井ノ口 洪太/福口 朋子
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風景を見る際の枠組み(制度)を提案し、それに基づいて不特定多数の人々に風景を観察&報告してもらうイベント。報告はその枠組みを用いた写真によって行われ、報告された写真は制作者によって一枚の壁面にランダムに貼り出される。貼り出された写真群をヌラッと一望することによって、他者の風景を共有することができる装置になる。
具体的にはハガキサイズのプレートの中に穿たれた正方形の穴によって目の前の風景をトリミングしながら新鮮と感じる“絵”を探し、見つけたらカメラにおさめてみようという手法で写真を収集する。

共通の枠組みの中での表現にこそ、差異や類似が明確になり、コミュニケーションが生じるだろうというアプローチにはすごく共感する。

勝手な提案であるが、この試みに成果を見出せたあかつきには、次のステップとしてまた別の枠組みを用意して同じようなイベントを開催するなどはどうだろうか。自分と他者あるいは他者と他者の枠組みの使い方を相対化することが今回可能になったと思うが、それに加えて枠組み(制度)そのものの使われ方をも相対化することができたらまた面白い議論が生まれるような気がしています。


:::fowerpod men:::天野将孝・中橋裕介
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植木鉢の形をしたかぶり物を頭に被って、大名の街を練り歩くという提案。かぶってる人間はかぶり物の穴からの風景に視点が固定されることで見える風景を変えられる。かぶってる人間を見る側は異質な様相の人間の出現によって風景の見方が変わる。ということだろうか。

なぜ植木鉢だったのかという問いに対しては、自然の少ない大名地区に人間が植物的な存在として街を潤す(?)といったようなアイロニーを含んでいる。というような言い方をしていたが、なにか一貫性がないような気も…。
この作品といい、『みどりの日JACK!!』といい『INTO THE GROUND』といい、なにかデザイニング展の共通のキーワードとしてみどりとか自然とか植物とかいうものがあったのだろうか。ちょっと疑問なところ。



:::まとめ:::
全部書いてみたら予想以上に疲れた(笑)


藤村さんがこれらの作品をいろいろな水準でカテゴライズしながら分析を行っていたが、とくにメディア派かサイト派かというカテゴライズと、サイト派よりメディア派の提案の方が多いのではという分析が興味深かった。

今回のプロジェクトは全て実際のアクションまで至ることを前提としていたようなので、単純に考えてサイトに直接手を加えるよりはメディアをちょこっと操作してみるアプローチの方が、今の時代においてはお金も労力も圧倒的に省エネであるという背景はまず指摘できるとは思う。
しかし、そういう背景とは別の背景として、僕らがいわゆるメディアとそこに流れる情報の中にこそ自分たちにインパクトを与える空間が広がっていることを肌身を持って無意識的にしろ切に感じている状況を指摘できると考えている。僕らは建築を学びながら、実は建築を実際に体験する経験よりも何十倍もの量の空間に関する情報をネットや本の情報から日々得ている。メディアで伝達可能な情報だけで僕らは空間を面白いとか面白くないとか判断したりもする。とにかく僕らはメディアに希望を抱いているのだと思うのです。

言いたいことは、藤村さんから「なんでサイト派よりメディア派の方が多いんだよ。」「建築家としてそれでいいのか」(とまでは言ってないけど)、みたいに批判された時に、じゃあ今度からはメディアよりもサイトへのアプローチの方を重視しようとかなったら面白くないということ。僕らは(と言って、プロジェクトに関わってもないのに勝手に自分を含めてすみませんが)、じゃあなんでメディア派なのか、メディア派だとしてじゃあメディア派の視座から実際のフィールドを眺めた時にどういう関わり方ができるか、あるいはメディア派とサイト派との間にもっとクリティカルなカテゴリを用意できるんじゃないか、などということをむしろ考えた方が面白い気がしています。コミュニケーションも成立する気がします。(超線形プロセスとも共通してたりするかも?)そしてそれこそが、分節されたものを統合していくということであると思います。
…ってまあ、当たり前のことですけどね。

そういうわけで続きはまた。


関連:
1995年以後レビュー_1
1995年以後レビュー_2_自分編
ROUNDABOUT JOURNAL × DESIGNING ” TRANSMISSION ”_1日目



author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-05-04 04:05 | 雲り
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