松本剛志の考えること
by matsumo5402
インターフェイス
口内炎は痛いわ、腹の調子も悪いわ、眠いわ。なんだこれは。いわゆる厄年というものだろうか。
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最近、精神と時の部屋があればいいなとよく思うのです。ないけれども。それにしても「精神と時の部屋」というネーミングはなかなか詩的な雰囲気を醸し出しているけれども、どういう意味なんだろうか。漫画では肉体の鍛錬を行うために使用されているが、「精神と時の部屋」のネーミングからは完全に「肉体」が欠落しています。「時」は止まっている(部屋でどんなに時間が経っても部屋の外の時間は進んでいない)が「肉体」は変化している。では「精神」は?「精神」と「時」を日常との相対関係から切り離したという意図だろうか?「精神」とは何を意味しているのだろうか。「時」が変化しないとすれば「精神」も同時に変化しないのだろうか。「精神」が変化しないというのはどういう状況なのだろうか。わかりませんが、なにかとてもおもしろいネーミングですね。

ちなみに体験として、〆切などを実感したとき、つまり時間を有限のものとして認識することによって、時間に対する仕事量の密度が増すということはよくある気がします。「時」=「精神」という図式にまでは至らないにせよ「時」即ち「精神」によって生じるモノというような言い方をされると、そのようなものかもしれないとも思います。「身体」が「肉体」的なものと「精神」的なものから成るとして、「肉体」的なものの「肉体」性と「精神」的なものの「精神」性というものはある程度独立した存在として相互に関係しあう性質であるのかもしれません。そうすると、やはり「精神」が「肉体」を凌駕する、即ち「時」が「肉体」を凌駕する(あるいはその逆)という現象も不断に起こっているのかもしれません。

んで、そうであれば、その「肉体」と「時」(「精神」)とのバランス、即ち「身体」を調整する何かしらのインターフェイスがやはり大切なのだと思うのです。例えばカレンダーなんかは直接的なインターフェイスですね。そしてドラゴンボールでは「部屋」即ち「空間」がインターフェイスの比喩として用いられているというのが、建築学んでる人間からしたら少し面白い。「精神と時の部屋」において「時」(「精神」)と「肉体」を分離しているものは、機械であるのか魔法であるのか何かしらであるのでしょうが、やはり表現としては空間でないと身体感覚として伝わらないということなのでしょうかね。


ま、何にしても、空間というのはいろんな概念だとか期待を孕んでいるのだと思います。これを全て建築が回収しようというのはおこがましいにも程があるかもしれませんが、少なくとも建築を考えることが幾らか空間を考えることに繋がっているというのは事実だろうと思いますし、そこが建築の最も楽しいところの一つなのだろうなと思っています。


author:松本剛志
by matsumo5402 | 2009-02-10 23:38 | 晴れ
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