松本剛志の考えること
by matsumo5402
tokyo_081116_2
一応tokyo_081116_1の続編。

ダブル・クロノス展の次に行ったのは恵比寿ガーデンプレイスにある東京写真美術館
最近好きな写真家の志賀理江子さんも出展しているという、日本の新進作家展On Your Bodyがずっと見たくて、やっと行けた。

6人の写真家さんがそれぞれ自分の作品を数点展示してて、どれもそれなりに面白くて綺麗で格好よかったんだけど、僕の心に一番響いたのはやっぱり志賀さんでした。

というのは、たぶん一番変態チックだから笑

例えば、このサイトに書かれてる志賀さんの文章を読んでもらえばその変態具合がわかると思うんだけど(笑)、つまり、彼女は自分で新たに殺人の定義を唱え、率先してその意味での殺人を行っているわけです。
たぶん、僕の予想だけど、彼女は「あなたを美しく殺してあげるわ。」とか「私は美しく殺されているんだわ」とか、自らの作り出した倫理観と仮定としての状況(写真を撮ることは被写体を殺すこと)の中で、極限までサディスティックに振る舞い(写真を撮る)、限りなく興奮した状態で作品を作っているのではないか、と思っています(僕の中の勝手な志賀さん像はこういうふうな、いわゆる危険な人。笑)。作品は彼女のホームページの中で見れます。

これは完全にホラーです。
そして彼女の作品の場合、それはすごく美しいホラーだと思います。
だから、これを見るのは、実はすごく危険だと思います。
自分の心の内を簡単に暴かれる(あるいは暴く)おそれがあるからです。

というのは、(芸術とか精神世界とかを語ることに対してものすごくボキャブラリーが乏しいので、うまいことは言えませんが)、こういう、ある種のホラーというようなものは、結局、鑑賞者の心のうちに潜む変態的な部分を暴くこと(鑑賞者が作品に対してグッとくるような感覚だと思う)に本質的な意味の強さがあると思います。つまり、鑑賞者は暴かれることに快感を覚え、作者は暴くこと(同時に暴かれること、晒すこと)に快感を覚えるからこそ、ホラーが芸術であったり情報として世に出てくる足掛かりを得ていると思うわけです。

それに対して、僕らが生きていくことにおいて、暴き暴かれることは何の意義があるかという問いがありますが、それはわかりません。
そういう、目的的な意義は、まだないと思います。
でも、目的も持たずに次から次へと人の内側から噴出してくるホラーには何かしらの大きな力がある気がしています。



…と、なんか全くうまい言葉で書けませんでした。
けど、感動したものに限って、何がいいのかが全く言葉として出てこない。この文章でそういうもどかしさだけでも後々に残せたらいいかなと思っています。笑


そんで、この展示を見た後は、ちょうど偶然写美で開催されてた写真新世紀2008展を見た。
これについては、また気が向いたら書きます。
by matsumo5402 | 2008-12-03 03:10 |
<< ダニ・カラヴァン展がある 月初めの言葉_12月 >>